かつて〝泣き屋〟〝泣き女〟と言われる商売があったって本当?

あるとき、とある涙活イベントで知り合った女性がこんな話をされました。

「以前、とある女流作家さんの小説で、〝泣き女〟というのがテーマになったものを読んだのが、すごく記憶に残っていて…。お葬式のときなんかに、泣き女という人がくるんだそうです。その泣き女が、泣くのを見て、お葬式に集まった人も、『ああ、あの人が死んでしまって本当に悲しいな…』と改めて、死者を悼み、泣くことができるんだとか…」。

その女性の話を一緒に聞いていた人が、「私は少女マンガで泣き屋を見たことがあります」と言いました。

なんでも、怪奇マンガを得意とした女性マンガ家の作品らしいのですが、舞台は古代エジプトのようだった、と言います。「なんか、世界史とかでも習った、有名な女王の名前が出てきていましたよ…。だれだっけかなあ…。その作品の中で泣き女たちは、葬儀に行って泣いたあと、報酬としてお金や貴金属、美味しい食事なんかを得ているように書かれていました。職業だったんですね」。

前述の女性は、「私が読んだ小説でも、それが仕事だ、みたいに書かれていたように思います。舞台は日本だったような気がするんですけど…」とのこと。

泣き女ってホントにいたのでしょうか。しかも、それが仕事になっていた?小説では舞台は日本で、マンガでは古代エジプト。かつては全世界的に葬儀の折、泣き女を雇う、というような風習があったということなのでしょうか。

古代史に詳しいフリーライターのMさんに聞いてみました。

「泣き女、泣き屋。古代には実際に職業としてあったようですよ。日本、中国、朝鮮半島、東アジアに泣き女の記録が残っていますし、ヨーロッパ、中東、旧約聖書にも泣き女の記述がありますから、古代エジプトにもあった、と考えて差し支えないのでは…。日本では戦前まで、泣き女の風習のある地域がいくつかありました。九州、沖縄の一部、また、静岡・伊豆諸島にもいくつか記録が残っているようですね」。

なんのために、泣き女が必要だったんでしょうか。

「お葬式って、遺族にとっては、死者を悼む気持ちだけでは済まないという性質がありますよね?交際範囲の広い、格式のある家だと、葬式も大勢の人を招いて大々的にやらなければならない。事務的なことに追われてしまうわけです。でも、死者にとっては、事務処理されてしまってはねえ…。というわけで、遺族のかわりに泣いてくれる人が必要だったのかな?と考えます。報酬によって、泣き方の本気度も変わってきたそうですよ?また、泣き女をどれだけ呼べるか、で家の格式を競うような面もあったようです」。

泣き女は今でいう、涙活?

「報酬をもらっているので、涙活とは違う気もしますが…。泣くことがお金になるのだから、泣くのにもさぞかし気合いが入っただろうな、とは推測できますね」。

Mさん、たいへん興味深いおはなし、どうもありがとうございました!