共感性に乏しく、悲しくても泣けない大人が増えているって本当?

以前、知人から聞いた話です。ご主人が若い女性と浮気していて、自分が留守のとき、その女性は家に上がり込み、寝室や、シャワーを使っていたらしい。ホテルで密会するならいざ知らず!と知人は激怒し、その女性を自宅に呼び、説教したんだそう。

「もし、あなたが結婚していて、ご主人の浮気相手に家に上がられて、自分のベッドやタオルを使われたらどんな気持ちがする?」と。

すると、その若い女性は、「私はあなたじゃないから分からない」と答えたのだそう。

「今の若い子を、ゆとり世代、さとり世代なんて言うらしいけど、宇宙人か、と思ったわね!共感性というものが皆無なんだもの」。

その話を聞き、責めるのはその女の子じゃなくて、奥さんの留守に若い子を家に連れ込むご主人では…?とも思ったのですが…。

さて、ここで話したかったのは、浮気の話ではなくて、知人の発言に出てきた、〝共感性〟の話。彼女は、ご主人の浮気相手に対し、「共感性がない。ゆとり・さとり世代だから」と断じていますが、彼女自身に共感性はあるのか?私には、彼女にも共感性はさほどないように感じられたのです。「共感して欲しい!」という他者への欲求はあっても…。

共感性とは、他人の境遇に自身を重ね、心を寄り添わせること。ニュースなどで、痛ましい事件を知り、「ひどい、悲しい」と怒ったり、涙したり、当事者の立場を自分におきかえ、心を動かされることです。

ニュースに留まらず、ドラマを観たり、小説を読んだり、というようなことでも、思わず涙ぐんでしまったりするのは、その登場人物の境遇と自分とを重ね合わせて共感するからではないでしょうか。

しかし、他者に対し、そのような共感性を持つことが不得手な子どもが増えています。その背景には、幼い頃から、テレビアニメやゲームなど、バーチャルな刺激に溢れた環境の中で過ごし、感性が受け身にならざるを得なかったということが挙げられます。その上、自然や生き物と触れあうなどの実体験が少ないと、五感の発達自体が未熟で、人を思いやることや、他人の境遇を我が身に置き換えて考えてみるなどの想像力が育まれないのです。

昨今では、大人の共感性の欠如もまた問題となりつつあります。自分自身や家族など、ごく身近な周囲のことには熱くなれるけれど、それ以外にはいたって無関心という傾向が多く見受けられます。

身近に事件などが起きたとき、「可哀想だとは思うけど、べつに泣けない」。そのように断言してしまえる人、あなたの近くにもいませんか。

共感性の乏しい大人に育てられた子どもが、みずから共感性を身につけることは困難です。

では、共感性を身につけるにはどうしたらいいのでしょうか。

生の実体験を重ねてください。海や川に入る、山に登る、生の魚を調理や泥のついたままの汚れた野菜を調理する。イヤホンを外し、風の音を聞く、鳥のさえずりを聞く。

映像好きな人は、コミックを、コミックを読んでいた人は活字だけの本を、テーマパークなどで行われる煌びやかなショーやミュージカルが好きな人は、オーケストラなど音だけの世界や、浪曲、落語など話芸を、あるいは美術館で絵画やアート作品を鑑賞することを選んでください。あらゆるものが揃った世界ではなく、なにかを想像で補っていく世界へ…。どんなものでも、今は無料動画などの映像で見ることが可能ですが、実際に足を運び、生で体感することをお勧めします。実体験を重ね、想像力を磨き、悲しいと思ったら、ちゃんと泣けること…。情感が揺さぶられ涙を流すことが、この先の人生を豊かに彩ってくれるでしょう!